筒井之隆さんがみた村井芳裕

カップヌードルミュージアム 館長

日清食品ホールディングス顧問、横浜みなとみらいのカップヌードル・ミュージアム館長。
会社ではマーケティング、宣伝、広報のコーポレート・コミュニケーション畑を歩む。宣伝部長時代、カップヌードルのHungry!CMで「カンヌ国際広告映画祭・グランプリ」受賞。(自慢です!)

趣味はジャズ・サックス、アマチュアのビッグバンドに所属。趣味が高じて、仲間とジャズ専門レーベル「Chigusa Records」設立、プロデューサー。

http://www.cupnoodles-museum.jp/

http://chigusa-records.jimdo.com/

村井芳裕ってどんな人ですか?

FB上ではどうでもいいようなメッセのやり取りがほとんどで、つい最近まで、どんな仕事をしている人なのか、考えれば考えるほどわからなくなるというキャラクターでした。それもそのはず、村井さんの個人史をみればとんでもない波瀾万丈な生き様がはっきりします。(以下、本人から事情聴取したお話)

中学生の時に吉田拓郎に魅了されてフォークギターを買う。高校生の時にギターを盗まれてグレる。チック・コリアに衝撃を受け、ドラマーのスティーブ・ガッドにハマり、ドラマーになることを誓う。音楽学校に行くため、せっかく受かった大学を中退して親に勘当される。アマチュアバンドを掛け持ちしながら、先生からコンピューター音楽の道にすすめとアドバイスされて、独学でMIDIデータの制作に励む。地方公務員試験に受かるが1年で辞める。宮間俊之とニューハードオーケストラのボウヤ、敏いとうとハッピー&ブルーの事務所で働き、島津豊とキャンドルナイツのメンバーとして初めてのシングル「宮城のしぐれ」を出すが、マネージャーにギャラを持ち逃げされて、レコードも廃盤となる。その後、フリーのドラマーとして活動しながら、大手業者からクイーン、クラプトン、ジミヘンなどのカラオケ音源MIDIデータの制作を請け負っていたが、データをだまし取られ、借金を背負いこむ。(なんてこった!!)


音楽活動を断念、プログラマーを目指すが、バブルがはじけ、缶ジュース一杯で飢えをしのぐ。35歳でようやく開発系の会社に採用され、社長にプログラマーになりたいと進言したが、「35歳になったらプログラマーをやめる歳だ」と失笑される。5年で退社するが、当時開発した「クラウド型CTIシステム」は今では世界標準になり、その会社の中心的システムとして現在も動いている。退社後、独立し、
JR東日本など大手企業のWEBシステムの開発、サーバーの修正業務などを手がけ実績を残す。「地域密着型WEBシステムの開発・運営をサポートする」という理念で株式会社PIK設立、現在に至る。

漂流のような苦労人生ですが、自己の関心事に対する異常なまでのこだわり、集中、粘り強い不屈の精神に感服します。何度かお会いしてその多様な才能を知るにつけ、この人、ひょっとしたら天才かと疑うようになりました。私、天才は嫌いなので、そうでないことを祈ります。

 

村井さんを一言で表すと、モグラ。(こだわったことを深く掘る人、という意味でね。)

 

そのうちにすごい鉱脈を掘り当てられることと期待します。

今の関係を教えてください。

Facebook上に共通の音楽家の友達がいて、村井さんともFB友達としてつながりました。私のビッグバンドのライブを聴きに来ていただいたのが初対面で、2014年7月、横浜馬車道のライブハウス「King’s Bar」で初セッション。村井さんのドラムをバックに2曲サックスを吹きました。村井さんはすでにベテランの域で、スティーブ・ガッドが後ろにいるような気持ちのいいドラミングでした。

村井芳裕を紹介するとしたら?

近寄ったらやけどするぜ。(熱い人、という意味でね)

村井芳裕に一言お願いします。

もし忠告したいことがあっても「やめろ」と言っても聞く人ではないでしょう。

地球規模で拡散するNET情報社会にあって、なおかつ地域に密着した、人間の生活目線を大切にするWEBサービスの新しい仕組みを志向する村井コンセプトに、人の裏を行くパラレルな可能性を感じます。腹の中で「クラウドなんか雲の上、ビッグデータなんかゴミの山」と嘲笑っているような気がするのは私だけでしょうか。

筒井さんありがとうございました。

筒井さんを見ているとこんな風に年を重ねて行きたいなぁと思える憧れの存在です。
音楽仲間として、これからも末永いお付き合いをしていただけるようお願いいたします。
また機会があったらセッションに参加させてください。
ありがとうございました。

株式会社 PIK

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